google chrome linux版 出てるよ
 2010.01.23 Sat
written by 抹茶
使ってみた。やはりすごく早い。いくつかこなれていない点もあるけど、一晩で修復された点もある。近いうちもっと使いやすくなるよ。ともかく目茶目茶ん早いからLinux派は試用の価値あり。
06:36:39 | 未分類 | comments(1) | trackbacks(0)
意味のない一時停止取り締まりに物申す
 2009.10.31 Sat
written by 抹茶
警察の道路標識の係に下記をメールフォーム送信した。何十年も腹に据えかねてきた意味のない一時停止取り締まりに物申すことができた。政権交代の影響だろう。この先いつあるか分からない。チャンスである。

警察庁が発表した、一般道路における速度規制に係る「交
通規制
基準」の改定及びより合理的な交通規制の推進について
10/30付新聞には警察庁が「おかしいと思う規制があれば
警察
に伝えて欲しい」と呼び掛けていると掲載ありました。
そこでお伝えします。下記の「一時停止標識」は実態に
適合し
ていません。
是非実態に合わせて下さい。
地図を示します。
http://www.google.co.jp/maps?ie=UTF8&ll=33.888738,130.765425&spn=0.001599,0.003304&z=18
念のためにもう一つ示します。
http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E130.46.4.1N33.53.7.7&ZM=12
私は通勤で二十年以上この区間を使用しました。実態を
よく知
っています。
この地図は北九州市営 若松競艇場正門前です。奥洞海
駅から
競艇場への出入りが優先され、それに直交する一般道は
常時一
時停止を強いられています。
しかし、競艇開催時は警備員が交通誘導をして、一時停
止標識
はなくても事故は起きません。
逆に競艇のないとき、正門から出入りする車はほぼ皆無
。そし
て直交する一般道は199号線の迂回路として使う通勤者で
とて
も混雑します。
それらがすべて一時停止を強いられるため渋滞が起きて
います
。これは実態の逆で、渋滞を助長しています。
一時停止標識はむしろ逆に競艇場から奥洞海駅へ行く道
に付け
るべきです。
さて
これはその近くの別地点の地図です。
http://www.google.co.jp/maps?ie=UTF8&ll=33.881011,130.751982&spn=0.003198,0.006609&z=17
念のためにもう一つ。
http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E130.45.15.6N33.52.39.9&ZM=11
先の地点から工場街を西へ向かった突き当たりです。
若松側からは99%以上の車が北へ右折します。直進しても
向こ
うは洞海湾で行き止まりだからです。
折尾゛側からの反対車線は99%以上の車が左折します。
にも関わらずここは、折尾側から若松゛側へ左折する車
は一時
停止です。
行き止まりの洞海湾側からの直進車が皆無に等しいのに
、左折
車だけが一時停止です。
これは実態に合わない標識です。
行き止まりの洞海湾から来る車が一時停止する様に変え
て下さ
い。

21:00:14 | 未分類 | comments(0) | trackbacks(0)
椰子の実 現代語訳への試み
 2009.07.11 Sat
written by 抹茶
名も知らぬ遠き島より の歌詞、現代抹茶訳してみたくなってきた。出来たらプロジェクト杉田玄白に載せてやるぞぉ ふふふ

「椰子の実」という歌は、カラオケに行くと〆に必ず歌います。坊がつる賛歌と同じくらい好きです。そしてこの歌は、私の好きな高音域で歌うのに適しています。
どんなに今風な歌をたくさん歌った後でも、必ず〆はこの椰子の実です。

初めて聞いたのは大学の音楽の授業の課題曲でした。それまでの学校の授業で習わなかったのは、多分あまりにも古すぎたからでしょう。言葉も古い。でも、何度も何十年もたまに歌ううちに、自分にとってはこんな意味だろうと勝手に解釈して、その解釈に酔い痴れてはまた歌っていました。
飲みつつ歌いつつしているうちに、ある方のギターでこの歌を歌うと、私が酔い痴れている印象とは違い、「よく、こんな古い言葉を覚えているね」という感想を聞きました。
自分にとっては慣れ親しんだ好きな言葉が、自分としてもとても気持ち良く歌えた歌が、
聞く人によっては古い分からない言葉であったという驚きは、長く自分の中に残っていました。
それが悪い印象ではなかったけれど、自分にとっての歌と他の人にとっての歌とが全く違うことは、何かいつか言葉にしたかったものでした。
自分の中でのマイ方言と化していたのでしょう。この歌元々はちゃんと流通していた言葉なので、それを現代でしゃべったから方言といえるのかもね。方言とは大体そうした起原を持つ古い言葉の名残りです。とはいえ、椰子の実は文語体の言葉なので、これが喋られていたわけでもないでしょうが。
さて、ともかく文字にできたのでひとまずよしと。いちいちこだわんない。

せっかくだから、私の頭の中の椰子の実がどんなに好きかを書き残します。
これは結果的に先人の作詞の「意訳」じみたことになる?かもしれません。おこがましくも大それた事を言って、プロ翻訳家さんたちにはどう見えるでしょう。ここにはたくさんおられて怖い気もします。
でも、自分勝手な訳文を無料公開する企画、我がお気に入りの「プロジェクト杉田玄白」には名乗りを挙げるつもりでいます。その下書きです。ふふふ どうなることやら。
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抹茶の記憶の中の「椰子の實」は
私の記憶を再生です
島崎藤村作詞の原本とは一部違うでしょう。だから決して以下を本物と思わないで下さい。万が一コピーする場合は必ずこの一文を一緒にコピーして下さい。さもなくば、著作権上の問題も起こるやもしれず、そればかりか島崎藤村氏、文学、音楽に対して大変な失礼に当たります。

抹茶の記憶の中の「椰子の實」

名も知らぬ 遠き島より流れ寄る 椰子の實一つ
故郷の岸を離れて なれはそも波に幾月

もとの樹は 生いや茂れる 枝はなお 陰をや成せる
われもまた 渚を枕 孤身の 浮寝の旅ぞ

実をとりて 胸にあつれば
新なり 流離の憂

海の日の沈むを見れば 滾り落つ離郷異郷の涙
思いやる八重の潮々 いずれの日にか海に帰らん



本物が見つかりました
「椰子(やし)の実」
島崎藤村作詞・大中寅二作曲

名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ

故郷(ふるさと)の岸を 離れて
汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)

旧(もと)の木は 生(お)いや茂れる
枝はなお 影をやなせる

われもまた 渚(なぎさ)を枕
孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ

実をとりて 胸にあつれば
新(あらた)なり 流離(りゅうり)の憂(うれい)

海の日の 沈むを見れば
激(たぎ)り落つ 異郷(いきょう)の涙

思いやる 八重(やえ)の汐々(しおじお)
いずれの日にか 国に帰らん
http://www.google.co.jp/url?sa=t&source=web&ct=res&cd=1&url=http%3A%2F%2Fwww.mahoroba.ne.jp%2F~gonbe007%2Fhog%2Fshouka%2Fyashi.html&ei=UIdYSr2fBorE6QPenbSVCw&usg=AFQjCNFzapeU24Ycehja31mnCRu8ihDY4g&sig2=OJHjbymKfZHOsDeTJLj2EAより引用
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現代語へ意訳を試みます
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現代語へ意訳を試みます
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(浜辺を散策していると、人が)
名前も知らない遠い島から(この浜へ)流れ寄ってきた(だろう)椰子の実一つ(見つけました。)

故郷の岸を離れて (椰子の実さん)あなたはそもそも-->「なれ」を「あなた」、そもを「そもそも」と訳すのは完全な自己流解釈です。多分違っているでしょう。)
波に何か月(…くらい揺られてここに来たのですか…と言いたかったけど、胸が詰まって体言止めになっちまいました。)
(椰子の実がなっていた)もとの樹は 生い茂っていることでょう
(その)枝も(今も)なお影を、成していることでしょう
(その下では子供たちが遊んでいることでしょうか。行って涼みたいものです。

私もまた(この椰子の実と同じように、草枕ではないですが)渚を枕に(寝てみました)
独り寂しく浮かぶように所在なく寝る旅です

椰子の実をとって、胸に当てれば、(ふるさとを)離れ流されている憂い(うれい、悲しさに似た感情)が新たになります
(心のどこかで憂えていたのでしょうが、椰子の実を見てその思いが新たになりました。大切な悲しさを思い出したといえましょうか。)

(そうこう椰子の実を前に独り言を言っているうちに日が沈みかけてきました。)
海の日が沈むのを見れば 故郷を離れた思いに異郷(にいる寂しさ)の 涙が沸騰する(たぎる)ように(こみ上げ流れ)落ちてきます。
(私は故郷を離れてきたこんな北の国、日本の浜辺にある椰子の実に、思わず我が身を重ねてしまうのです。思えば私は、異郷の地にいる寂しさを、思い出すこともないほどにひたすら耐えるばかりで、泣くことすら長いこと忘れていました。どれほど長く故郷に帰っていないでしょうか。椰子の実を見て嗚咽がこみ上げます。)

思いが飛び越えます(はるか)八重の(=いくつも、いくつも、たくさんたくさん)潮と潮を(海と海の向こうに思いをやります)
いつの日にか、(私はきっと)国に帰ろう

「八重の」-->古くからこの国では、果てもなく たくさんたくさんという意味を、八という字に当てていました。八百万(やおよろず)の神々 などといいます。
いつの日にか、(きっと)海に帰ろう
(国に、故郷[クニ]に帰らん と、ほんとは言いたい。言いたいけれど大人げない。
ならばここはひとつ椰子の実に身を託そう。
椰子の実は元の島に帰ろうとは言わないだろう。
でも、今流れ着いたその海に帰ろうと言って、潮に乗ってまた流れ出すことはあるだろうからから、せめて私は、クニでは無く 海に帰ろうと歌う。でも本音は、
ああ、ふるさとにもう一度帰りたいものだ。
この気持ちを椰子の実に託して歌おう)国を海と思い込んで歌い続け、その意味をあてこすって解釈していたこれは長い間の私の思い込みでした。でも、私の中の記憶の記録としてここに残しています。
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さて、覚えている歌詞が違っていたので、また訳し直しです。


ほんとに、ホントにこれは完全な私の当てこすりです。この歌について一度も古語辞典を開いたこともないし、ネットも引いていない。だから、決して島崎当村がこんな思いをこめただなんて思い違いをしないで下さいね。これは私が歌っていて思い浮かべた抹茶の思いを現代語で記しただけなのですから。
歌う人の想いと、作った人の思い、そして聞く人の思いは、基本的に別のものです。それをどうにか紡げないかと、この言葉を代わりに紡いでみましたが、やはり想いと言葉とは別のものだとつくづくと思うのでした。それぞれ好きに踊ることなのでしょう。それぞれの音が重なり合って、曲を作るのでしょう。

言葉って、きっとずっとそんなものではないかと、何となく思うのです。やはり、電子コピーされる思いは存在しないようです。
あるのはただ、近づこうかと試みる努力、または踊りなのだと思うのです。
04:55:44 | 未分類 | comments(0) | trackbacks(0)
新型のウィルスに関する注意
 2009.05.28 Thu
written by 抹茶

平素は、FC2(fc2.com)をご利用頂き、誠にありがとうございます。

Adobe社のAdobe ReaderおよびAdobe Acrobatの脆弱性を利用した、
新型のコンピュータウィルスと、その対策について通達いたします。

ここ最近、蔓延しつつある上記の新種ウィルスは、
それに感染しているウェブサイトにアクセスするだけで、
パソコン上に保存されている、アカウント名、ログイン...
新型のウィルスに関する注意

21:41:24 | 未分類 | comments(0) | trackbacks(0)
CMが、これで見られるというが本当かいな。やってみよう。
 2009.05.16 Sat
written by 抹茶
上戸彩ちゃんのCMが、これで見られるというが本当かいな。やってみよう。


わーほんとできた。参ったねこりゃ。ちゃんとCMページにブログパーツの公開してある奴だから問題無しだ。

こっちのリンクも彩ちゃんすげえ綺麗だよ。
俺は彩ちゃんの大ファンなのだ。
00:19:55 | 未分類 | comments(0) | trackbacks(0)
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